建築探偵見習日記・その27 ~聖ルカ礼拝堂~
- 2008/03/06 11:36
- Category: 建築探偵
さて、最初にお話しした建築探偵の醍醐味・・・
“建物への侵入方法”ですが。
以前来た時は平日でしたので、見舞客を装いスンナリ入れました。
今回は日曜日・・・教会といえば、日曜はミサがあるから入れるだろう・・・と、
高をくくっていましたが、行ってみると、そこは病院。
表玄関はモチロン、休日入口らしきところも固く閉ざされておりました。
諦めがたく裏に回ってみると、なにやら人の出入りが・・・。
どおやら、チャペルで葬儀があったようで、花を運び出している業者さんがいらっしゃったので、
それに紛れて裏口から侵入。
暗い階段を上がると、そこはチャペルの裏側でした。
今回もまんまと侵入してしまったワ。
私ってもしかして、不法侵入またはDOROの才能あったりして。
ちなみに、病院の中で葬式挙げられるってどうよ?とか思いつつ、
DORO気分のうしろめたさから、ブレまくっております。
Wikipediaさんの記事を拝借いたしますと(手抜き)、
礼拝堂のステンドグラスは、予算の関係から複雑な聖人画などは作れなかった。
逆に抽象的な図像でキリスト教の殉教の歴史を象徴する画が配されており、
特に魚の図像はローマのキリスト教弾圧の時代にキリスト教徒同士の合い言葉であったと同時に、
築地市場のある土地を反映したものとなっている。
そのお魚さんの図像が、↓です。
チャペルは、後方は建物の2階~6階まで吹き抜けになっており、
この旧病棟に病室がつながっていた当時は、チャペル背面は各階のロビーから直接チャペルが見下ろせるようになっており、
入院患者が病院にいながら礼拝できるようになっていました。
今は、その部分にパイプオルガンが陣取っており、当時の開放的な風景は見られません。
(藤森照信さんの『建築探偵 奇想天外』には、当時の写真が載っておりますよ)
礼拝堂正面
これが礼拝堂背面(入口)。 この上にパイプオルガンが鎮座ましましています。
“建物への侵入方法”ですが。
以前来た時は平日でしたので、見舞客を装いスンナリ入れました。
今回は日曜日・・・教会といえば、日曜はミサがあるから入れるだろう・・・と、
高をくくっていましたが、行ってみると、そこは病院。
表玄関はモチロン、休日入口らしきところも固く閉ざされておりました。
諦めがたく裏に回ってみると、なにやら人の出入りが・・・。
どおやら、チャペルで葬儀があったようで、花を運び出している業者さんがいらっしゃったので、
それに紛れて裏口から侵入。
暗い階段を上がると、そこはチャペルの裏側でした。
今回もまんまと侵入してしまったワ。
私ってもしかして、不法侵入またはDOROの才能あったりして。
ちなみに、病院の中で葬式挙げられるってどうよ?とか思いつつ、
DORO気分のうしろめたさから、ブレまくっております。
Wikipediaさんの記事を拝借いたしますと(手抜き)、
礼拝堂のステンドグラスは、予算の関係から複雑な聖人画などは作れなかった。
逆に抽象的な図像でキリスト教の殉教の歴史を象徴する画が配されており、
特に魚の図像はローマのキリスト教弾圧の時代にキリスト教徒同士の合い言葉であったと同時に、
築地市場のある土地を反映したものとなっている。
そのお魚さんの図像が、↓です。
チャペルは、後方は建物の2階~6階まで吹き抜けになっており、
この旧病棟に病室がつながっていた当時は、チャペル背面は各階のロビーから直接チャペルが見下ろせるようになっており、
入院患者が病院にいながら礼拝できるようになっていました。
今は、その部分にパイプオルガンが陣取っており、当時の開放的な風景は見られません。
(藤森照信さんの『建築探偵 奇想天外』には、当時の写真が載っておりますよ)
礼拝堂正面
これが礼拝堂背面(入口)。 この上にパイプオルガンが鎮座ましましています。
さあて、この聖路加病院の設計者について、ちょっと色々な余談をみつけましたので、
旧病棟の素敵な灯りたちとともに、そのお話をご紹介します。
前回記事で登場したチェコの建築家、フォイエルシュタインさん。
大正15年に、レーモンドの設計事務所にパートナーとして加わるため日本に来ました。
レーモンドとフォイエルシュタインは、最初はうまくいっていたのですが、
「聖路加病院の仕事のあたりからおかしくなったらしい。
レーモンドによると、フォイエルシュタインが病院長のトイスラー博士などと組んで自分を排除しはじめ」たと思いこみ、「二人は喧嘩別れし、昭和五年フォイエルシュタインは日本を去」ったとのこと。
(「」内は、『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信著)より引用させていただきました)
その後故郷に戻ったフォイエルシュタインさんは、あまり仕事に恵まれず、
六年後になくなったとのことです。
さて、レーモンドはというと、聖路加病院のデザインはモダンすぎたのか、
無機質だということで途中で降ろされてしまったそうです。
そして最終的にはバーガミニーの設計に・・・
そうしてみると、聖路加は、いろんな外国人建築家の思いがこもっているのかも・・・。
旧病棟の素敵な灯りたちとともに、そのお話をご紹介します。
前回記事で登場したチェコの建築家、フォイエルシュタインさん。
大正15年に、レーモンドの設計事務所にパートナーとして加わるため日本に来ました。
レーモンドとフォイエルシュタインは、最初はうまくいっていたのですが、
「聖路加病院の仕事のあたりからおかしくなったらしい。
レーモンドによると、フォイエルシュタインが病院長のトイスラー博士などと組んで自分を排除しはじめ」たと思いこみ、「二人は喧嘩別れし、昭和五年フォイエルシュタインは日本を去」ったとのこと。
(「」内は、『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信著)より引用させていただきました)
その後故郷に戻ったフォイエルシュタインさんは、あまり仕事に恵まれず、
六年後になくなったとのことです。
さて、レーモンドはというと、聖路加病院のデザインはモダンすぎたのか、
無機質だということで途中で降ろされてしまったそうです。
そして最終的にはバーガミニーの設計に・・・
そうしてみると、聖路加は、いろんな外国人建築家の思いがこもっているのかも・・・。
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surugaki
キリストのモザイク絵を復旧していました。・・・どうしたことか、それを
思い出したのですが、写真が無かったので、「バルセロナ大聖堂の
寄付記事」をTBさせていただきました。どちらの教会も維持には金が
掛かり、悩みの種のようですね。何とか、次の世代に残して欲しい
ものです。いつでも喜んで寄付させていただく所存でございますので、
いつでもお申し付けくださいますようお願い申し上げます。(小嘘)